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マンゴー

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 さて今旅行中なのですが、私の奥さんはマンゴーのアレルギーがあります。

 というのは、マンゴーを食べるたびに体に蕁麻疹がでて痒い痒いと号泣しながら、無我夢中で蕁麻疹を掻き毟る、というわけにもいかず、というのは掻いたらもっと酷くなることがわかっているので、しかしその忘我の痒みに無抵抗でいるほどに強靭な精神は備えず、たどり着いたせめてものの抵抗、それがそーっと痒いところをペシペシと叩くという行為、そのわずかな抵抗に彼女最大限となる一縷の望みを託して、痒みという辛みと戦う妻の姿は宇宙からの侵略者たちに竹槍で挑もうとするヒトの悲壮感すら漂い、私は毎度涙を禁じ得ず、「どうしてそうなるのにマンゴー食べちゃったの」と誰しもが思い描く質問を毎回するわけですが、彼女は涙を拭いて、それでも嬉しそうに言うのです、「だってめちゃくちゃ美味しいんだよ」と。

 そうなるともう仕方がない、彼女はもう止めることはできない、なぜならマンゴーはめちゃくちゃ美味しいので、もうこれはどうしようもないわけです。そこで、私はもう彼女の盾になる。普段の生活においてマンゴーが簡単に入手できるほどハイカラな日常ではない私たち、そこに潜むリスクはほぼ無いと考えて良いわけですが、今この旅行中においては話は違う。そこら中に奴は潜んでいる、そして隙あらば私たちの眼前に躍り出て今こそ我を食うべき時よと無防備にも痴態を曝け出す。そうなれば私たちに抗う術はもうないわけです。つまり必要なのはリスクヘッジ。奴をこの世界に登場させない。それはこの南国において、祈りにも似た、希望なのです。

 そうして朝ごはんを食べていると、ウェイターさんが「ジュースのサービスアルヨー、オレンジ、パイン、パパイヤ、アーンド…」 

 頼む。ノーマンゴー、プリーズ。ここにマンゴーが続いたら、もう我々は大海流にのまれ翻弄されマンゴージュース美味いと空に吠えることしか出来なくなってしまうから。祈り、通ず。

 「ヲーターメロン」

 私は妻を見た。彼女は少しだけつまらないそうに、「じゃあ、ヲーターメロンプリーズ」と呟いた。それはもう独り言のように。この彼女の瞳孔を通過するカラフルな世界が灰色になっていくのを私は視た。でも、これでいいんだ。幸せは最高であることじゃない。最低でも、最高でもないところが、ベストなんだ。

 美味しい朝ごはんを終えた。私は安堵とともに、青い空を見上げた。雲は固定されたように動かない。波の音だけが聞こえる。時の止まった世界で、私は気がついた。時間を、盗んだのだ。妻はもうそこに居なかった。時は止まってなんて、いなかったんだ。

 「見て!切ってくれた!」

 妻は嬉しそうに皿を私に見せてくれた。完全なるマンゴー。そこには完全なる、マンゴーがおよそ20切れはあろうかと乱立していた。光に反射して、黄金に輝いていた。そして妻の笑顔も、それはもう光に迸っていた。

 幸福とは何かを乗り越えた先にあるのかもしれない。一緒に行こう。私はマンゴーを食べた。でも、少しでも。私はそれほどマンゴーが好きではないのだけれど、一生懸命たくさん食べたのだった。