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残した米は涙の香りがした

 さて、私は定期的に太り定期的に痩せるのを繰り返しているわけだが、3月頃に旅行に行ってからというもの、一気に太ってきている気配は感じていたけれども、現実を強い意思で見ないように見ないようにしていた5月中旬、さすがに現実が見ないようにできないくらいの勢いで迫ってきて、ディスプレイでいえば画面の9割現実で埋まっている感じで、「いやーちょっと画面の端っこ見てましたわ」とかそういう言い訳ではもう通用しないくらいの存在感を放ってきているくらいお腹がぽっこりとポヨンポヨンという状態ですから、私は現実を真っ向から見据え、ついに!言い放ったのです。わかった認めてやろうじゃないか、だがな現実よ、お前が如何なる強大な力を携えていようとも俺という存在は決して負けることはない、この俺の心は如何なる現実に対しても体重計バーン!!嘘やろッ!?ええええ嘘やろッ!!?まって現実まってそんなの耐えられないこんな現実とても受け止められないあああ許してまって許してください許してくださいと号泣しながらバービージャンプを始めた夫の様子を見て妻が「そんな太ってたの?」と唖然としたわけです。

 なので、ダイエット期間に入りまして、1ヶ月で!なんと!3kg痩せました!すごい!順調!でもまだ目標以上なので、これからも頑張るぞ!

 という気持ちで今日の昼ごはんは鳥の照り焼き丼を食べてたんですけど、ご飯の量が多い気がして、泣きながら米だけ残しました。これ、私としてはすごいことなんですよ。米とか麺とかが何より好きな私。米を控えることはあっても、それは茶碗に盛り付ける量を減らすとか、そもそも注文しないとか、そういうことはあったけれども、すでに注文して!買って!そこにある米を!!!あえて残す!?そんな勿体ないことをしていいのか!?農家の皆様に申し訳が立たないのでは!?人として間違ったことをしているのでは?!でも買ったときにはこんなにコメが入っているとは思わなかったし、あとで食べようって持ってかえるのもちょっとどうだろうという状態だし、ちくしょうーーーーーーすまねえコメの神様ーーーーーーでも俺は・・・俺は・・・・

 

痩せたいんや・・・・

 

 

 

少しずつ割れていく

 iPhoneを使っています。

 Androidなのか、iPhoneなのかで、群雄割拠の天下分け目の大騒乱の時代ですが、私は昔っからMacユーザーなので、iPhone一択、Androidって何よWindowsって何よってなもんなのですが、そんな中、私の上司は男気一本ガラケーでして、全体会議で職場の連絡網をLINEに変更しましょうという話が出た時に、なんてことだ私の上司LINE使えないんですけどと心の中で叫び、上司の顔色をうかがったときの、あの子兎のように心細そそうな瞳は忘れることが出来ません。

 さてそんな私のiPhoneですが、私はiPhoneをよく落として画面を割りますので、カバーを貼っています。私はガラスの手触りが好きなので、普通のシールみたいな保護フィルムではなくて、ガラスフィルムを貼ってるんですね。ガラス二枚貼りみたいになるやつです。で、それを貼った上でiPhoneをよく落としますので、ガラスフィルムが少しずつ割れてきてます。日に日に割れてきてます。なんなら見た目はバリバリに線が入ってます。でも、このガラスフィルムが保護してくれてるわけで、iPhone本体のガラスは割れてないはずなので大丈夫です。たしかにガラスフィルムがバリバリに割れてるので、見た目はバリバリに画面が割れたiPhoneそのものなんですけど、でも実際にはiPhoneは割れていないので、ヨシ!!なのです!と思っていたんですけど?!これiPhoneが割れてるのと一緒やん?!フィルム張り替えなければ割れてるのと一緒やん?!でも張り替えるのも面倒だし貼り替え方もわからないし、別に使えるし、いいやん…?物事の本質って、そういうことやん…?

 

聖剣伝説3リメイク

 最近、4月後半に発売された、聖剣伝説3のリメイクを遊んでいます。オリジナルは昔のゲームです。

 昨今のゲームなり、小説なり、漫画なりの流行として、「敵が単純な悪じゃない」っていう風潮があります。敵も敵なりの正義を持って戦っている、お互いの正義の正しさをぶつけ合うようなシナリオ。昔のような魔王という絶対悪がいて、それを討ち滅ぼすのが正義だ、みたいな話は、最近トンとみなくなりました。まあ、異世界物とかパロディみたいな話の設定には使われていますが、それはそれとして。

 とにかくそんな中で、この聖剣伝説3です。めちゃくちゃ悪いやつがいて、それは世界を滅ぼそうとしているわけです。で、それを倒すぞ、みたいな話でして、この安心感ったら無いわけです。古き良き時代の王道たるシナリオなのです。

 最近COVID-19の影響もあってか、様々な不平や不満が立ち込めていて、Twitterなんか見ていると、色々なところで批判の応酬のような議論が目に入ってきます。Twitterという媒体上、長文が難しいので、議論というよりは、お互いの正義を浴びせ続けているような感じですが、とにかくお互いの正義の正しさをぶつけ合うような風潮があるわけです。

 そういうのに辟易として、なんとなく暗雲たる気持ちになってしまっていた最中、この聖剣伝説はとても良いです。悪い奴は悪いんだ!という世界を救うんだ!という安心感と、爽快感。鬱屈した昨今には、今こそそういう話が求められているような気がします。ですのでみなさんも聖剣伝説をやりましょう。私は全員99レベルになりました。あとは最強の裏ボスを倒すだけです。

 俺のリンクアビリティが今宵、火を吹く!!

 

絶体絶命

 絶体絶命なとき。

 それはマフィアに追われて袋小路に逃げ込んで、振り返ると黒服の男が三人くらい、銃を片手に迫ってくるときとか、地球に巨大隕石が衝突して地球が大爆発する時とか、いろいろ思い浮かぶかもしれませんが、でも、本当に絶対絶命なときは違いますよね。そうです。演奏を始めたのに、バンドのベースが機材トラブルで音が鳴らない時です。

 

 大きな会場、静寂の中にドラムのカウントが響く。暗闇と、沈黙を切り裂くように、ベース、ドラム、キーボードの前奏が始まる。はずだった。しかし、その瞬間に彼らは気づくのです。最も印象的なフレーズを担当しているはずのベースの音が聞こえないことに。どうしたとチラリとベースを見つめるドラム、キーボード。そして気がつくのです、機材トラブルだと。でも、演奏は始まってしまいました。照明も煌々とステージを照らしているのです。普通の演奏家なら、演奏を辞めてしまう事態でしょう。「トラブルです、トラブルです」と苦笑いを浮かべながらMCが始まることでしょう。でも、プロの中のプロはそれを許さないし、プロの中のプロはそれすら許せないのです。音楽を止めることは、演奏を止めることはできないのです。彼らは模索します、その絶対絶命な窮地を「音楽」として成り立たせる道を、目線と、今自分たちが持っている楽器の音だけで。

 本来であれば歌が入るタイミング、しかしボーカルは後ろを向いたまま歌い始めません。ドラムとキーボードだけが前奏のフレーズを繰り返します。ベーシストは機材トラブルの処理のため、その間に一旦舞台から消えました。果たして、いつ帰ってくるのかもわからない状況。前奏のフレーズだけが繰り返される中、フィルインを加えて場をつなぐドラム。しかしこれも限界があります。そんな短くも果てしなく長い30秒の後、ボーカルの女性は、静かに、果たして、それが予定調和であったかのように会場を振り返るのです。そしてマイクを握りしめる。無言で、「行こう」と伝えているのです。それにギタリストは呼応します。ベースが本来奏でていたフレーズを、ギターで組み入れます。それが歌を始める合図だと察知したドラムは、フィルインを入れます。自然に歌が始まりました。さもそういう曲であるかのように。そしてAメロ、Bメロを、ギターがベースのフレーズもカバーするようにつなげていきます。成り立っている。でも、このまま最後まで、ベースがいないままで進めていくのか。それでいいのか。そんな焦燥感が高まる中で、ベーシストが戻ってきました。彼の笑顔をみて、ドラム、ギター、キーボードは理解します。大丈夫だと。ニヤリと笑うギター、キーボード、そして「さあ行こう」とばかりの表情で、サビへのフィルインを叩き込むドラム。そこに、抑うつを吹き飛ばすかのように落ちてくるベースのグリッサンドと共に、五人の演奏が始まります。圧巻の時です。絶対絶命を乗り切った彼らに、恍惚の時間が訪れるのです。振り返ることもなく、それを予定調和であったかのように歌い続けるボーカルの歌声を、ベースが復帰した「完成したバンド」の音が包み込みます。そのコントラストが、ただの演奏では感じられなかった、バンドという形態の音の凄さを表現することになったのです。

 

 というライブ映像がこちらです。

 これがまた、曲名が「絶体絶命」なのです。

youtu.be

 プロだなあすごいなあと思いました!!

 

雑巾掛けをした

  ある日、雑誌か何かに、「毎日雑巾掛けを始めた」みたいな男気溢れる話が載っていて、何だかその雑巾掛けという行動がとても懐かしくて、楽しそうだなあと思いました。

 今の小学校はどうなっているのかわからないですけれど、私が子供の頃は掃除の時間になると全員で机を動かして、毎日、地面を雑巾掛けしていたんですよね。今思うと、なかなかストイックな掃除です。教室を左右に行ったり来たりしたり、長い廊下を雑巾前傾に走り抜けたり。疲れる作業だったと思いますけど、何だか、その頃を思い出すと、無性に楽しそうで、懐かしい気がしていました。

 そんなノスタルジックな哀愁に囚われながら、いや、本当はそんな哀愁は忘れていたのですけれど、今日のご飯はアジの開きにしようとスーパーを歩いていると、目に入ってきました。雑巾2枚セット。真っ白で長方形のやつ。これだ。

 ということで購入しました。

 奥さんに「雑巾??何に使うの?」とキョトンとした顔で聞かれました。我が家の掃除は基本的に9が奥さん、1がルンバなので、私と雑巾という概念には本来一ミリの接点すら無い、そんな世界線の中で突如私が雑巾を嬉しそうに買ってきたものですから、奥さんの訝る気持ちも、まあわかります。でも、雑巾を何に使うって?!はーっはっはっは愚問だな!決まってるじゃあないか!雑巾を掛けるのさあ!

 目が点になっている奥さんを他所に、突然廊下を水雑巾でバタバタバターバタバタバターと走り抜ける私。

 なんてことだ、楽しい!これは懐かしい!

 全力で体重をかけて、開けっぱなしにした窓から風を感じながら、木目の廊下を走り抜ける!まずは水拭きで荒汚れをこそぎとり、ダメ押しの乾拭きで磨き込む!夕暮れの陽に輝く廊下は、一微の埃も認めずに、白く煌めいています!!!気持ちいい!掃除最高!雑巾掛け最高!でもめちゃくちゃ腕が疲れた!!!飽きた!!!

BCGはコロナに効くの?

 昨日ふらりとテレビを見ていましたら、心理学コメンテーターみたいな方が、「非常時とか困窮時には、人はポジティブな想像をしがち」と言っていました。ピンチの時は、これが効果ある、とか、こうしたほうが良くなる、みたいな意見が出回るということですね。アビガンを投与とか。

 それはそれとして、BCG接種がコロナウィルスに良いんじゃないかという説が出回っています。

dot.asahi.com

 この図のように、明らかにBCG接種している国としていない国では、感染者数が違うわけで、それは間違いないことです。でも、これはBCG接種している国としていない国で感染者数が違うぞってことを言っているだけで、BCG接種すればコロナにかかりにくくなるということを証明しているわけではありません。因果関係が直接あるとは限らないわけです。何なら、左のほうの国は国名が2−3文字で、右の方の国は国名が4−7文字と長いじゃないですか。国名が長いほうがコロナにかかりやすくなるのかもしれない!と言っているのと同じです。

 真面目に言えば、BCG接種している国は、こう見ますと、アジア圏が多く、靴を脱ぐ文化がある国に見えますし、また北欧やアメリカなどに比べると平均気温が高いとか、多湿だとか、そういう要素もありそうです。実際は靴を脱ぐ文化の国にBCGを打っている国が多かっただけ、ということかもしれません。

 そもそも国同士で文化が違うわけで、交通網の違いとか、ハグとかキスをするかどうかとか、手を使ってものを食べるのかとか、コロナに対する政策がどうだったとか、そういうBCG以外の要素が多すぎるので、国別で比較するのは無理です。やるなら、せめて同じ国の中で、BCGを打った人と打っていない人に感染率が違ったかどうか、で見るべきでしょう。

 と思っていたらイスラエルの研究があるようです。

https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/2766182

  風邪症状がある人の中で、BCGのワクチン接種を行っている1979-81年生まれの人と、行っていない1983-85年生まれの人を比べて感染率に差があったかどうか調べてみると、差はなかったようです。じゃあやっぱりBCGは関係ないのかな?

 とはいえ、この平均4才という年齢の差が影響したかもしれません。もしくは、風邪症状が無い人まで無作為に調べたら差が出るのかもしれません。

 

 私の感覚は、いずれにせよ、BCGは効果が全くないとも言えないけれど、効果があってもほんのわずかなのではないかなあと思いますが、どうでしょうか。少なくとも冒頭の記事の1800倍という謎の数字ほどの効果は絶対ないと思います。非常時はポジティブになりがちなので、理性的な気持ちだけでもポジティブに考えすぎないようにするのも大事かなと思いました。でもポジティブな気持ちがないと元気がなくなってしまうので、今日はめちゃくちゃ美味いハンバーグを食べたいと思います。ハンバーグ!!!