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イミテーションゲーム

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 アマゾンプライムで、「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」という映画を見ました。面白かったです。

 ネタバレがグワッサーとあるので見る予定の方は読んでから見てくださいませ!

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 この映画は、第2次世界対戦で、ドイツが用いていためちゃくちゃ難しい暗号を、天才数学者が解読するぞ〜という話です。で、解読できるんですけど、そこでめでたしめでたし、とならなかったのが醍醐味でした。

 イギリス軍は、暗号を解読したのは良いのだけれど、ドイツ軍に暗号が解読されたことがバレないように、利用しないといけないのです。ドイツ軍が解読されたとわかり、もうその暗号を使わなくなってしまったら意味が無いわけですからね。

 そこで、この情報は放置しておく、この情報には対処する、という選別が必要になります。しかしそれは、放置した情報の戦場では敗退したり、死者が出ることを許すということになります。それが人道的に許されるのか、それは機会がやることなのか、人間がやることなのか…みたいなテーマが流れている感じでした。

 で、その時にイギリス軍がやったことは、実際情報の取捨選択ーつまり、失う命と、救う命の選択を、統計に基づいて選別したということなんですけれど、もちろんそれは極秘裏に行われていたそうで、軍部にも政治家にもごく一部の組織しか知られない中でやられていたようなんですね。そうしないと、情報が漏洩してしまうし、人道的には許されないと考える人もいるでしょうから。でも、そうすることが戦争に勝利して、結果的には多くの人の命を救うことになるという強固な結論を元に、進められたことなんだと思います。

 そういうことが、当時許されていたとすると、今の日本ももしかしたらそういうことなのかもしれません。

 コロナウィルスが今実は相当数広まっていて、もっと厳しく対処したり、検査をたくさんすればたくさん見つかってくるのは多分本当なんですけど、それを行ってしまったらパニックになってしまって、医療期間の麻痺、社会情勢の麻痺が起こる。それによる損害、死者のほうが、コロナウィルスによる損害よりも大きいとわかっているから、敢えて惚けたふりをして政治を進めているのかもしれない…。社会的最大正義のために、小さな犠牲を許すことを黙認しているのかもしれない…。

 そんなこといってパニックを煽ってはいけないですね。大丈夫!今の学校を止めたり、やっぱりやってもいいですよ、みたいな雰囲気を見ていると、そこまで深く考えて動いているようには見えませんから!それが大丈夫なことなのかは…よくわかりませんが!!