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私は小さく世界を救った

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 私は時々、コンビニでおにぎりを買います。

 今日も、朝の寝ぼけ眼を振り払うようにして、行きつけのコンビニの奥底の棚の前に立ち、一つの缶コーヒーと、お気に入りのおにぎり「焼き鮭ハラミ」を手に取りました。

 ただ、一つの違和感がありました。朝の7時という時間は、コンビニの店員さんがちょうど棚に商品を並べる時間です。そのため、棚はたくさんの商品で充足して、パンパンに敷き詰められていて、私はそういう光景を見るのが何となく贅沢な気がして好きなのですが、とにかくその「焼き鮭ハラミ」も沢山並んでいたのです。

 しかも、いつにも増して沢山。10個くらい。

 コンビニで、同じ種類のおにぎりが10個並ぶというのは異常事態です。普通、同じ種類のコンビニは4個くらい、多くても10個並ぶということは珍しいことでしょう。それが証拠に、隣のイクラおにぎりは1つしか置いていません。1つのイクラと、10個のシャケ。この鮮やかなコントラストが示すものは、一体何でしょうか。

 私は、ピンと来ました。気がつかなければ良かったのかもしれません。しかし、私のこれまで生きてきた人生の経験が、その答えにたどり着いてしまったのです。

 

 「前日の余りが残っている」と。

 

 つまり、そこに並ぶのは前日売れ残ってしまった「焼き鮭ハラミ」と、新しく入荷した「焼き鮭ハラミ」の集合なのです。そして2列に並んだそのおにぎり、間違いなく、前面に鎮座するのは昨日の売れ残り、いわば第一世代。賞味期限に余裕を無くした、タイムリミットの近いそれ。今朝工場で出来たばかりの若い第二世代たるおにぎりたちは、その後ろに並び、老兵の門出を見守っているのです。

 

 私は手に取りました。その最前面のおにぎりを。推理は的中です。本日、15時までの賞味期限。比べて、奥深くに眠るおにぎりは、翌日までの賞味期限を残しています。

 どうするべきか。当然、理性的な判断は、翌日までの賞味期限を残した第二世代たるおにぎりを選ぶべきです。コンビニのおにぎりは前に並んでいるものからしか取ってはいけないなんていう法は無いのですから。しかし、法が許しても、私はそれを許して良いか……?

 私はこれまでの経験で、賞味期限が近づいたコンビニのおにぎりを知っています。それはボソボソとして米粒には芯が生まれ、ゴワゴワとした食感が明らかに風味を落としています。健康的な意味では問題はもちろん無い、けれども明らかに味が落ちるのです。そうわかっているからこそ、今そのおにぎりを残し、生まれたてのおにぎりを選んで良いものだろうか。

 私がここでこの第一世代を遺した場合、その第一世代はまた、最前面で次のお客さんの到来を待つことでしょう。そしていつか、購入が果たされる可能性が高い。そこでそのおにぎりを食べた人はおそらく気づきます。ボソボソとして味が落ちたそれが、少し古くなってしまったおにぎりであったことに。

 それは悲劇なのです。あまりにも酷なことなのです。コンビニのおにぎりくらい、そんな思い詰める食品じゃないと思うかもしれません。しかし、コンビニに詳しい方なら知っていることでしょう、この「焼き鮭ハラミ」が…悲しいことに…コンビニおにぎりの中では「高級品」であることを。

 普通のおにぎりが110円程度で購入可能なラインナップの中、この「焼き鮭ハラミ」はまさかの183円。1.5倍以上の単価を誇る、コンビニおにぎりの中で最高級のグレードの品なのです。他のおにぎりがビニールに包まれる中、このおにぎりはオシャレに紙風味の包装に包まれ、何なら並ぶ段も一段上に置かれているという、明らかな格差をもつ逸品なのです。そして、そんなおにぎりを手に取ることは、コンビニに通い詰める私のような男にとって、ささやかな贅沢を感じられる瞬間でもあるのです。

 だからこそ、このおにぎりがボソボソであったときのダメージは計り知れない。次にこれを手にとる方は、もしかしたら週に1回だけはこのおにぎりにしようと決めている方かもしれない。いや、「お父さん!僕このおにぎり食べてみたい!」「何ッ……、わ、わかった息子よそれにしなさい」「あれっお父さんは食べないの?」「いいんだ今日はお父さんお腹いっぱいだからこの60円のブランパンにしておくよ」みたいな親子かもしれない。

 そう思ったら。いずれにせよ世界に悲劇が訪れるのだとしたら。

 私は思いました。その悲劇は少なくとも予想されたものであるべきではないかと。悲劇の訪れを理解して、胸に覚悟を備えた状態で受け止めることができれば、最小限のダメージで済ませられるかもしれません。そうすれば、たとえ爆発に焼け落ちた世界の中でも、倒れず、ふらつく足取りで、しかし立ち残れるのではないか。

 私は、倒れない。

 そう覚悟を決めて、私は第一世代のおにぎりを手にとり、レジに向かいました。レジの店員さんは、私のその行為に気づいていたのかいないのかわかりませんが、少しだけ優しい目をしているように思えました。

 

 職場につき、おにぎりを食べました。そのおにぎりはやはり、ボソボソとして、ゴワゴワとして、その命が燃え尽きそうな気配を漂わせていました。でも、誇りを感じました。コンビニのおにぎりとしての最高級を誇るプライドを遺しているように思いました。いや、その誇りは、おにぎりから漂っていたものでは無いのかもしれません。

 

 今、私は少しだけ胸をはります。

 私は今朝、小さく世界を救ったのです。