文字だけのブログ

文字だけしか使いたくない時に使うブログ

消えたトイレットペーパーと獣ゆく細道

スポンサーリンク

 トイレットペッパーが無くなるというデマ?でトイレットペーパーが店頭から消失したようです。

 日本には充分な量の備蓄があるそうなので、心配することは無いとのことですが、そうは言っても、トイレットペーパーが無くなってしまった時の絶望感たるやトテツモナイもので、その局地における不穏たる様相を想像しますと、やはり不安となるのが人情、流石に店頭に我も我もと走ることは理性が押し留めますが、我が家としても人に迷惑をかけない範囲での最大限の防御策を取りましょうということで、トイレットペーパーを使うときは不必要な量は使わず大事に使うということになりまして、妻が一回50cm、私が一回5cmまでという結論にたどり着き、これは基本的人権や法のもとの平等が侵害されているのではないかと震え拳を強く握り締め、しかるべき控訴を考えています。5cmて。

 さて、トイレットペーパーもそうですが、何かが無くなるかも!とか、何かがヤバイかも!と不安な事態が発生したときに、全員が冷静に動けば全員のダメージは最小限になると理性的にわかっていても、「私だけは助かりたい」的な動きをする人が一定数以上いますと、「やったもん勝ち」的な空気になってしまうわけです。トイレットペーパーがちょうど切れて、薬局に行ったら全て売り切れていてその絶望に膝から崩れ落ちた人も、日本全国に一定数おられたと思いますので、そういう方のことを思うと買い占めに走った人には憤りを覚えるのですが、同時に、でも、それは仕方がないことなのではと思う自分もいます。

 話は一旦変わりますが、大学で、動物を用いた医学研究を行っていた時期があったのですが、その時に、生き物は悲しいまでに遺伝子に囚われているなあと思いました。食べるとか、遊ぶとか、寝るとかいった行動は、理性で選んで一つずつの行動をしていると思いがちですが、その大半は遺伝子が予め基づいたプログラムに乗っかって動いているだけ、という感覚です。一つの遺伝子を少し変えただけで、食べる量が二倍くらいに変わる動物たちを見て、そう思いました。

 マウスも、ヒトも、そんな生き物ですので、今回のコロナウィルス騒動で不安が高まっている中で、ヒトが「生き延びよう」という行動を起こそうとするとき、理性的な行動を期待するのは限界があるのではと思います。「助かりたい、自分だけでも」という本能が理性を上回ってしまう。理性的な判断で動いているように見える専門家たちも、持っている知識が人より多いからこそ、それに守られて不安を感じずにいられるが故に、理性的(に見える)行動を取れているだけで、同じ人がその専門的知識を失っていたら、同様の行動が取れるかどうかはわかりません。

 

 こんなとき、椎名林檎さんの「獣ゆく細道」の歌詞が思い出されます。

本物か贋物かなんて無意味

能書きはまう結構です

幸か不幸かさへも 勝敗さへも

当人だけに意味がある

(椎名林檎「獣ゆく細道」)

 

 専門家たちはこういう混乱に走る方たちに理性的な助言をするよりも、本能に降りて行って宥めることがむしろ効果的だと知るべきです。それはヒトの野生に屈することかもしれませんが。

 

youtu.be