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センター試験と金太郎

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2020年、最後のセンター試験が終わりました。来年からは、共通テストというものに変わるそうです。

1990年から始まったもので、全31回行われたそうです。私も当時、受験しましたので懐かしいです。センター試験の日には雪が降りやすいというデータもあるようですが、私が受けたときも雪が降りまして、父親が車で試験会場まで送ってくれた記憶があります。

唐突に話は変わるんですけど、私はこれまで猫を何匹か飼ってきました。そのうちの一匹の猫、名前は金太郎という猫だったんですけど、その金太郎は、私がセンター試験を受けた日に亡くなってしまったんです。 

金太郎はもともと野良猫だったんですけれど、野良猫とは思えないような高貴な雰囲気の猫でして、好きな人ならわかるかもしれませんが、アメリカンショートヘアーが太った感じの猫でした。もしかして血統書つきだったのかもしれませんが、気づいたらうちの周りに住み着いていて、知らない間にうちに入ってくるようになり、知らない間に餌入れが家に設置されるようになり、知らない間に家の布団の上で寝ているようになりました。もともと一匹猫を飼っていたので、その猫と最初は喧嘩していたんですけど、知らない間に仲良くなっていました。不思議と、ほとんど鳴かない猫でした。

 

金太郎の一番の思い出は、ある日突然帰ってこなくなったことです。当時はまだ世間も緩くて、家と外を自由に出入りしながら猫を飼うことが何となく許されてた時代だったんですけれど、金太郎も好きに出入りしていました。そんな感じで猫を飼っていれば時々あることですけれど、3日くらい突然帰ってこなくなったんですね。

時々あることとはいえ、さすがに3日を超えると心配になって、「キンターキンター?」と叫んで回りながら近所を歩き回りました。でも、全然見つからなくて。そうしてさらに数日後、近所の方が道路の側溝に落ちて倒れていた金太郎を見つけて家に連れてきてくれました。

金太郎は多分、車に轢かれてしまったんだと思います。衰弱していたのもありますが、腰と後ろ足に全然力が入らない様子で、立てなくなっていました。水分とご飯はもりもり食べられたので、前足だけで力を入れる感じでご飯と水分を食べさせた後、病院につれていくと、腰の骨がたくさん折れているとのことでした。

「もう歩けるようにはならないかもしれない、可能性があるとしたら手術」と聞いて、私の両親は手術を選びました。人間でも大手術。ボルトが何本も入るような手術を、よく金太郎は受けたもんだと思います。

術後も、すぐに歩けるようにならなくて、しばらくは寝たきりでした。そのため、私や家族がなるべく隣について、なんとなく顔をみて「トイレにいきたそう」とか、「ご飯が食べたそう」と判断すると、トイレや餌場に連れて行っていました。鳴かない猫ですが、顔をみるとわかるのが、猫ですね。 

そんな金太郎も、そこから奇跡の回復を見せまして、気づくと怪我をする前より速いんじゃないかというくらいの勢いで爆走できるようになっていました。復活のあまり空中を飛ぶ雀とかを狩ってくることもあったので叱るくらいでした。

さて、そんな金太郎は、たしかセンター試験の1日目の試験中に亡くなってしまったと思います。何の予兆もなくて、唐突でした。死因もわかりませんでした。不思議なことに、その時の記憶が茫漠としてるんですよね。その日、金太郎が亡くなったことも含めて、前後の金太郎の様子の記憶がもやっとしています。おそらく、父と母が試験中の私に相当気を遣って、隠していたのかもしれませんが。試験が終わってから知ったのか、試験期間中に知ったのか、本当記憶がぼんやりしていて不思議なんですが。飼い猫が死んでしまったなら、三日三晩は号泣しそうな私ですが、それがそんな感じの記憶しか残っていないのは不思議です。

ただ、その時の私のセンター試験は、カンが冴え渡り、迷った答えが尽く正解していたということで、神がかり的な点数が取れて、無事大学にも合格できました。なんとなく、後から思えば、試験中に金太郎が舞い降りて力をくれていたような気がしています。そして、もしかしたらあの時、金太郎の看病をしていたのを、「お前なかなか向いてるよ」と思ってくれて、この進路を後押ししてくれたのかもしれないなあ…と勝手に思っています。