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ゲーム依存の話

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どこかの施設が、ゲーム依存症の研究結果を報告していました。つまり、ゲームをしすぎると生活に支障が出ますよ、という、まあ当たり前と言えば当たり前の話なのですが、教育分野などにはそれなりの影響があるのかなあという結果です。

一回話は離れるんですけど、私が子供の頃は、「個性大事」っていう時代があって、多様性が求められて、グローバリゼーションが推進されてくる感じの勢いがあって、ナンバーワンにならなくても良いからオンリーワンだよ!みたいな時代だったのですが、ここ数年はその揺り戻しというか、一つの信念に同調していくのが大事みたいな雰囲気になってきています。ラグビーのワンチーム、難民排他、強いアメリカを取り戻す、みたいな。そもそもナンバーワンにならなくてもいい、っていう理論がナンバーワンになるべきという理論を排除しているわけで、排他的、没個性的な理論の始まりとも取れるわけですが、それがいよいよ顕在化してきてるぞ、ということです。

で、ゲームの話に戻るわけですけど、こういうゲームやりすぎは不味いという話が出ると、「ゲームも一つの趣味」、つまり個人の趣味の選択であって、社会的に抑圧するのはいかがなものかという反論が出てくるわけです。例えば野球に打ち込むのと同じだったり、ゴルフ用具を買ったりするのと同じことですよ、とそういうことです。これは、つまり個人の趣味の多様性は認めて行こうぜという論調です。

それに対して、今の社会が、「個人の趣味はそれはそれで良いですが、それよりも国民は社会全体としての善に進むことがもっと大事」という抑圧をかけてきています。社会全体として大事とされる普遍的なこと、それは教育とか、仕事とか、そういうことになるんでしょうけれど、そういうことを乱すことは良く無いということです。そうなると、ゲームをしすぎて寝坊する人たちのほうが、野球をしすぎて破滅する人よりも多いと思いますので、大きな母体をターゲットに社会がまず抑圧するのは仕方がないのかなと思います。

でも、「社会全体としての善が仕事?教育?冗談じゃない」という気持ちになる人も多いと思います。それは多分私と同世代の、個性大事に、その人がやりたいことが一番大事という理論を受けて育ってきた方々だと思います。それに対して、それを認めない「強いアメリカを取り戻す」理論の揺り戻しが、ぶつかってきてる。

ゲーム依存の議論は、そういう少し昔と今の、大きな二つのヘゲモニーが衝突してる感じがしました。